「妙見活法」は宇宙(自然)の法則に整合した究極の自然療法です。正伝妙見活法協会では一千年の歴史を有する唯一正統なる「妙見活法」を第24代継承者である千葉吉胤妙星 司家が責任を持って本物の整体術を直接相伝いたします。正伝妙見活法協会には本物ゆえの長い歴史と正しい伝統があります。
公開日:2018年6月15日

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佐々木真吾先生 静岡県静岡市

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第24回正伝妙見学理講座天地之活
課題レポート
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前野功妙経会長

いつもお世話になります。

静岡市葵区佐々木真吾です。

第24回正伝妙見学理講座妙見天地之活
課題レポートを提出させていただきます。

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☆☆━─…━─…━─…━─…━☆☆
この度のテーマは「天長地久」
「全てを見透す手の世界」
縦軸循環エネルギー療法でした。
☆☆━─…━─…━─…━─…━☆☆

天長地久とは、
天地が永遠に変わらない様に
物事が永遠に変わらない事。
と言うことでした。

【ちょっとなのにたくさん】
【早く丁寧に】

物事が永遠に変わらないのであれば未来に対する余計な予測は必要無く拘ることが無くなる事であると思います。
自然の摂理は初めから決定づけられているのであるならば身勝手な振る舞いはおさめ未来に対する不安ごとや心配をせず慎んで学ばせていただきたいとおもいます。
──◆◇INDEX◆◇──
○はじめに
…………………
○考察1 見透す手と心得
…………………
○考察2 御父様の商法
…………………
○考察3 道の掃除と水
…………………
○考察4 日舞と手技整体と陶芸
…………………
○考察5 妙見問答
…………………
○考察6 秘伝書拝読
…………………
○考察7 宝珠と力学的考察
…………………
○考察8 天地の詞
…………………
○考察9 天円地方
…………………
○考察10 エネルギーと結果
…………………
○さいごに
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○はじめに
千葉吉胤妙星司家
この度も学理講座作成していただき有り難う御座います。
天地の理を学びより社会に貢献出来るよう学ばせていただきたいとおもいます。

前野功妙経会長
多忙の中、学理講座の精査や事務局の御仕事
この度も誠に有り難う御座います。

━考察①━見透す手と心得━━━━━━━━・
人助けに欠かせない作法は「見透す」という事でした。
そして見透すと言うことは「自然に合致」する事とありました、
自然とは人の手が入っていない状態、
手数の多さや作法にはずれた行動は自然ではなくなっている事を今までに御教導していただきました。
さらに今回の学理講座において、
天地の透過現象の中では自我が強く働いてしまうと自然の作用を阻害してしまう、
と言うことを学ばせていただきました。

不自然なことをしているから正確に不自然な結果が出ている因果の法則。
不自然な結果も起こるべくして起こっていると言うことを考えると、
自然は何一つ偽り無く現象を映し出し反正を促しているのだと言うことに気がつきます。
まさに現世(うつし世)なのだなと思いました。
また、結果が起こっているのに気付かないのは本人ばかりで。
察知力の低さが不自然な思考をして結果無駄な事ばかりに気を取られていることが日常に多々あるように自分は感じる次第です。

目先の欲に捕らわれるし大局的な判断力の弱さが自分の最も欠けている部分であることを自覚してはいますがこれでは当然見透す作用が起こることは難しいと思います。
まあ、せいぜい雨上がりにかかる虹が見えるくらいが関の山です。

“ちょっとなの、にたくさん”
が極意なのに我欲が入り
“小さな親切、大きな迷惑“
になってしまいます。

ここに波が起こるであろうと言う予測をしていしまうし、自分が高い位置から下ろしてエネルギーを発生させているのだと思っている。

これも勘違い。

事実は手を離した結果、物と地球の双方の質量がお互い引力に引かれあい自動的に運動している。
そして崩れた均衡が再び治まるところに治まっていく、自然現象。
それを観測してどうなったかを検証をすべきなのに己がそこに介在するとまるで違う意味になってしまっています。
評価をしているだけで中身がまるでない、
勘違いばかりであります。

有るが儘の姿を有るが儘に見れていないと言うことに気がつくと、
一体自分は何を見ているのだろうか…
節穴の目なのだなとつい苦笑してしまいます。
対応力や処理能力の低さは見透しの悪さは自然からの乖離が激しいのだなと思いました。

・結果に対しての観測
天体観測では、宇宙が創世されて以来の事象を、多くの学者が観測してきた事は、
起こった事象に対して出来るだけ客観的に天文学的または物理学的に高度な演算をして今に至った課程を“こうだったであろう”と解明していますがそれらは“過去から現在の間”を分析しているのであって“現在から未来”がどうなるかは大まかな予測しか出来ていないのが現状でした。

エネルギーのベクトルや膨張の速度などからある程度の予測はたてられても未来にどうなるか、は断定出来ないものが多く明確な解答はでないと思います。

別角度で見ると、現というロウソクの炎の揺らぎの中から変化を予測していて、燃焼速度からロウソクが後どれくらいで無くなるかの変化の過程を予測をしているのだなと感じました。

人間の予測では明確に結果を予測することは難しいと考えました。

・人体観測
人体においてはどうであろうかを考えると、
痛みが消えるであろう…
動きがよくなるであろう…
変化するであろう…

など予測ばかりで
全く別なことをしなければならないのに。
患者のオーダーを通すことばかりに振り回されて全体像を見透すことが出来なくなり症状に振り回されてます。
治療ではなくなっしまい、つの間にか介護や召使いと同じ仕事になってます。

未来を予測するということで考えれば賭事と同じであるなと思います。

確率論の世界では勝つか負けるかを見極めていくはずなのですが、
未来の勝ちを予測している時点で最初から負けは確定しているのかも知れません。
見透す手どころか手負いの者となりかねません。
少し視点を外して冷静に考えると、
治療を確率論で行ってしまうと確実に下手で負けが確定してしまいます。
自然と不自然に…心したいと思います。

自然界に合致したすべてを見透す手、
妙見様はすべてを見透す目をお持ちの菩薩様でした。
人の苦しみは自分の苦しみとして、そして人の喜びは自分の喜びとして作用がお借りできる場面を構築できるよう作法に則り妙見様の代理店として救助の見透す手がお借りできるよう努めたいと思います。

━考察②━御父様の商法━━━━━・・
そして、凹んだところで救済の言葉がありました。
「一喜一憂しない事」でした。

まるで序盤でヘコむ事が読まれているかのようです。
宝珠を見ても全体像が見えていないと目の前の問題に囚われてしまい本質が全く理解できなくなります。

ゆとりがある鷹揚な気持ちでいることも大切な事だなと改めて感じます。
意識と目線がとらわれなければ一を聞いて十を知る縦横無尽の察知力が伴うのだと思います。

治療は縁起の積み重ね、マイナスに縦軸循環エネルギー療法の作法が伴えば縦横無尽に螺旋の御縁通しの円筒形が構築されるようにもなるかと思います。
何でも手を出さず“一歩引いて見る”事で広い視野を確保し起点と終点が結ばれて循環している事が解るのであると思いました。

やはり引き算の作法ですね。

━考察③━道の掃除と水━━━━━━━・・・
見ないことが「水」と重なって御説明していただきました。

水引を調べると日本の「水引」水引とは元々、
遣唐使小野妹子への唐からの返礼の贈り物が紅白の麻糸で結んであったところから、
献上品を紐で結ぶ習慣になったものでした。
江戸時代になりそれに意味が付され、吉凶システムが完成したそうです。

吉事用の結び方には、古代の貴重な食べ物だったあわびをイメージしたあわび結びのほか、
松結び、竹結び、梅結び、鶴結び、亀結び
などがあり縁起物の名前を結び付け包まれたものに神聖な精神作用を起こす作法を形にしたものであるということです。

御縁を透す円筒形の中は水で、水は触媒役となってあらゆる物を循環させていることが解ります。
そして“結び”はあらゆる物の繋がりを認識する為の意味合いが込められておりました。
BARでは水商売でパイプ役として人脈を繋ぎ、
人体では血管中の血液で栄養と酸素を末梢との間で繋ぎます。

間を見ずにいられることは汚れがないから見ずにいられると言うことなのでしょう。
道が汚れていたら一々足下を確認しながら歩まなければなりません。
手数の多さが道を汚す事に当てはまり、折角の作用の場面が台無しになってしまいます。

間を見ずに澄むよう、
“真水”の如く純度の高い道を目指し掃除をしなければと思います。

純度の高い水は「高度純水」と呼ばれていますが純度の高い水を人が飲むと浸透圧の関係で体内の物質が均一化を起こそうと高度純水に流れ込むそうです。

不純物を水の中から引いていくと純水に致る。
程度問題はあると思いますが、
純度の高い作法は純度の高い透き通った水と同じで、
患者さんの体内の穢れが術者の見透した作法の手の中にトルネード掃除機のように天地に吸い込まれてゆくのでしょうか。

だから治療師は穢れてはならない、濁った目をしていては水が濁り真澄の空のような真水の触媒作用が無くなるのかなと思いました。

人間掃除機の勤めでありその先は人間濾過器みたいな作用を手の内に構築して行く様に思えました。

真澄の空におわす妙見様の“間見ず”の純粋の大切さを“真水”から教えていただいたように思いました。

━考察④━日舞と手技整体と陶芸━━・・・・
感謝の姿を現すもの、天地の間に調和された世界の構築をするのが御役目である事を学ばせていただきました。

天に舞い上がる螺旋の上昇スパイラルの作用
地に落ち着く下降スパイラルの作用

植物が天の神と地の神に捧げる感謝の行動を表したものが花でした。

人も花がある人は心惹かれます、
自我を仕舞いお地着いた作法を整えた人はどこか品格を感じます。

故事の“立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花”の形容ではないですが、
我が無く天地の作用を阻害しない所作が備わっていると人を和ませたり楽しませたりする事が出来るのだなど思いました。

“あなたが舞うのではありません”と有りました。
はっと気づかされます、
自分我舞うのではなく、人の心を舞わし廻して楽しませ、患者さんの身体の内部を廻して循環させることが勤めである。
ということに気がつかされます。

舞をしている人が舞っているのではなく当事者は常世と現世を繋ぐ神事の作用に合わせて機能するよう努めている事に気がつきます。

いい思いをするではなくいい目にあえるの様に楽しむではなく楽しませるですね。

舞の色が無色透明で綺麗に見えるのは作法に沿った動きが能動的に綺麗にしてクリーンアップしているから綺麗に見える、舞は躍り、汚取りでした。
心身のお掃除屋さん代理店。

時を忘れ心奪われる躍りを綺麗に舞ってるなーと感じているのは実際は見ている人が廻され清められていくから美しく感じれるのでしょう。

自我を吸い込まれるように見入ってしまいます、まさに魅了されてしまいます。
舞にむらがあったり我がでてしまったら見ている人がハッと我に返ってしまいますね。

我を吸い取るシステムが構築されているのですね。

ある意味でいえば美しいということがどういうことなのか?
と言うセンスを飛び越えた先にある事を舞によりダイレクトに見る者に訴えているのかもしれません。

芸術を見る目の基準の一つに
“ずっと見ていて飽きないもの”は芸術性が高いと言われます。
自然に沿ったものは自然であるが故に不自然な違和感を感じないから飽きないのであると思うと、
現代の芸術など強烈なインパクトを与え感性に訴えるものはハイセンスと言われるものであっても五感にノイズとして一度ぶち当ててから感覚として拾わせるようなものが主流になっているのだなと思います。

だから飽きる。

飽きる事すら計算に入れて周期を計算しきって仕掛ける商いもあるくらいですからそれも商法としては上手なのでしょう。

手技治療においてもグイグイ強押しマッサージなど、ただ押せばいいという体の感覚にノイズにを当てる事により、やって貰った感を出しているもので我と我のぶつかり合いなのかも知れないと思いますが、
そういう当たりの質を求める人に対しては相ふさわしい質を提供することも言行一致の作法であり、
また、求めに対して天地の結びの恵みを邪魔しない結果を提供することも言行一致の作法であると思いました。

勿論、整形に足繁く通ってその質の世界で満足するのも一つの一致なのだなと全体を見透して見てみるとそう思います。

物事を善悪や贔屓目で見てしまうと自分の都合でしか見えず世界は何も見えてきませんが、
自分なりに一歩引いて冷静に見透して見ると色々と見えてくるものがありました。
自分の我に一線引きをする大切さをまたここでも認識する事ができました、ついつい楽しく嬉しくなってしまいます。

さて、自分の現状を振り返り起こすべきは、
少しでも我を滅して人を引き立てるお手伝いをする事であると思います、
相手を引き立てればまた相手も引き立てて下さり引き連れて下さる人を沢山作る事でしょう。
沢山作るには一人一人大切にし末期から元気になって下されば“ちょっとの人“がスピーカーとなって“沢山の人”を引き連れて下さるのだとおもいます。
コツコツ務めたいと思います。

少し考察からそれてしまいますが、
見透す手は陶芸家がろくろのうえで廻る粘土を制御して作品を造るようなものでしょうか?

作品の回転運動を阻害しないように手を加える一発勝負の陶芸作品。

自我を捨てて集中しなければ瞬く間に作品は回転したろくろの上でぐしゃぐしゃになってしまいます。

手先を動かしても潰れるし身体で押し込もうとしても土は持ち上がりません。
透明にした我の入らない手により作品を引き立てて行くあの職人芸は見ているだけで呼吸をする事を忘れて仕舞います。

天の形を地に下ろして現に表すというお役目があるのだなと思うと、
手仕事における妙見様のバリエーションはこの世界において無限に広がりを見せておりました。

━考察⑤━妙見問答━━━━━・・・・・
妙見天地之活の次は北辰法道之活ですので
天地の作用を妙見門の中に入る作法を重ね合わせると理解がしやすくなりました。

妙見問答において四方八方は偏らない事であるというご説明でありました。
これを北辰の未知の世界へ歩む一歩だとすれば
門に入る前に我がでてしまえば門前払いになってしまいます。

入り口で口を挟むとか、けちを付けるなどわざわざ自分をでっかくして入り口で愚痴を言ってしまったら妙見自動ドアに挟まり中への歩みを自ら閉ざしてしまうことでしょう。
妙見様からこの度は“御遠慮していただきます”と言われ御縁が切れてしまえばお引き取りの作法が表裏の関係で成立してしまいます…。

妙見門が開き作用が通れば
八方塞がりを八方開きに、
八方開きは末広がりに、
末広がりは8、
8は∞へ。
どんどん質の転換が起こるものだとおいました。

第一螺旋は開くか開かないか、
第二螺旋は中へ入るため力まず挑まず逆らわず、
第三螺旋に入る手前の作法として我を鎮め滅私の状態で扉の前に立てば、狭き門へ透過する事が許されると。
門の扉を開ける前の鍵の解錠に至る
自然界のオートセキュリティーチェックの作法に見えました。

以前酒席で呑まないと呑めないの違いの御教導がありましたが、
食べれて幸せ、食べなくても幸せ。
我の介在しない言葉の運び方語り方もあるのだなと妙見問答を読みながら思い出します。

━考察⑥━秘伝書拝読━━━━・・・・・・
このたびも僭越ながら秘伝書を拝読させていただきました。

妙見天地之活、これは妙見門の中、宝珠の作用により四方八方から結ばれる御縁の縁結びの作法です。
下降スパイラルと上昇スパイラルの螺旋の円筒内部は穢れのない真澄の未知への世界に繋がる道を構築しております。
道の中を歩めるのは天地の循環のお陰でありその結びによるものです。
天地仁の天橋立・天之御中主の作用を通すには滅私の心で常に透過性を以ていることが求められます、
宝珠の中で御縁を結ぶ無想の作法、
すべてを見透す妙見様の作用を求めるのであらば、勝手な見立てを捨て、作用の邪魔をする行動を消去することです。
天地の通しは円満成就することであり中を通過するには我を滅した透過性を求められます。
北斗七星は澄み渡った夜空で永続して回転しているように、その作用は我の無い滅私の場面に降臨し授かることが出来ます。

となりました。

━考察⑦━宝珠と力学的考察━・・・・・・・
エネルギーは拡散し回り回ったエネルギーが再び収束して元のところに戻る働きをしているのが自然界の法力の基軸となるシステムでした。

人体においては、
心臓を起点と終点とした血液の閉鎖的循環システム。
自然においても海から蒸発した水の降雨は川になり大海原へ進む開放性の循環システムを構築しており宝珠の様子が見て取れます。

皮一枚内側の包まれた世界でも川の外側の開かれたでも宝珠の機能が行き渡っておりました。

人工的には、
扇風機のように回転してうしろから空気を吸い込み前方に吹き出す風の流れは一つの宝寿の螺旋の形を構築しているように思えます。

船のスクリューやレシプロの飛行機なども水中や空間に宝珠の作用を利用して推進力を構築しています、トラクター型の宝珠の人工的構築ですね。

また、ジェット式のダイソンの扇風機などはドーナツ状の気流を形成し空気を後ろから押し出すので気流の中に一つの宝珠の形が見受けられました。

天然にしろ人工的にしろものを運ぶ作用を起こすときは広く宝珠の影響下のもとで機能していることが伺えます。

形だけを見ると妙蓮した宝珠に一線引きした物を形にすると「数珠」の形になるのかなと思いました。
よく坊さんが持っているあれです。

丁度宝珠は仏事で使う数珠のように一線の糸に一玉一玉が連なり輪になって妙連していれば幾重にも宝珠が重なっているよう見えます。

一周回って起点と終点が交わり一つの円満形式を構築している小さい宝珠が幾重にも重なった妙蓮構造が見えてきます、自然の中の連続性を一つの形に表しているように思えてきます。

形だけては機能しませんがその意味を忘れないようにという自戒もありお数珠や真珠のネックレスなどにして宝珠を身に付けているのかも知れませんね。

子供の頃、訳も分からず数珠を振り回したりひっぱたいて遊んでいた記憶がありますが、宝珠の意味も理解せず使い方を誤ると折角のエネルギーシステムが何の機能もしていないお粗末な結果になっている事に気がつきます…。

豚に真珠とはよく言ったものです。

押したり揉んだりも意味が伴わなければ同じだなーと、反省の機会となりました。

━考察⑧━天地の詞━━━・・・・・・・・
あめつちの詞はいろは詞のような手習い歌であり四十八文字で構成されています。

言葉を覚える習い事であるだけではなく当時の人の自然界との共生、
人との連なりと共存を学ぶ情操教育に詠まれていたようですが、
妙見活法における要点がちりばめられている内容に思えまりません。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
あめ つち ほし そら 天地 星空
やま かは みね たに 山川 峰谷
くも きり むろ こけ 雲霧 室苔
ひと いぬ うへ すゑ 人犬 上末
ゆわ さる おふ せよ 言去 負せよ
えの えを なれ ゐて 榎枝 慣居
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

前半は二音節の言葉を連ねており、
冒頭から
「天・地・星・空・山・川・峰・谷・雲・霧・室・苔・人・犬・上・末・言・去・負・榎・枝・慣・居」と、一つの漢字の中に深き意味合いが込められておりました。

天地手習い詞は綱目の標題のように下記の分類をしてみると、全体像が浮かび上がって六つの項目に分けて読み込めます。

【天地】
あめつちほしそらやまかはみねたに
天 地 星 空 山 川 峰 谷
宝珠の作用は星空にあり
山川は人体の構成を、峰谷は虚実の構成を示しております。

【気象】
くもきり むろこけ
雲霧 蒸露 苔
水の作用と自然の透過性を示し
縦横無尽、変幻自在の作用を示しております。

【動植物】
ひと いぬ
人 犬
いぬ(犬)は“いない”と解釈します。

【方向】
うへ すゑ
上 末
人に上下無く、人は上も末も永続的に繋がり螺旋で無限に結ばれていると読み込めます。
まさに天長地久ですね。

【動作】
ゆわ「言う」こと
“言行一致”を示し

さる「去る」遠くへ去る。
“消えて行く幽玄の世界”へ、

おふ「負ふ」子を背負う。
“自分で責任”を負い、

せよ「命令」行動を促す。
能動性を出せ!

となります。
「天長地久の世界にて幽玄の世界への一致させる作法を自らの行動でしましょう。」となりました。

【生活】
えの 「榎の」榎木。
えを 「枝を」大樹の枝の下木陰で寄り添い。
なれ 「汝れ・慣れ・馴れ」共に馴れ親しみ。
ゐて 「居て」居続けて。生活を共に続けて。
仲良い互惠の精神を妙見の大樹の木の下を例えとした生活を示している事と思いました。
「むろ・蒸露」は室でなく、気象であり
「ム」は蒸らすの語幹、
「ロ」は小さな粒、
蒸らされた雫が「蒸露・むろを意味していると言うことです。
この言葉から「室・むろ」が「蒸露・むろ」を作り出す為に、戸や周りを閉ざして温度を上げる密閉の蒸らす施設とすれば縦横の螺旋を構築した円筒形の中の世界が垣間見れます。
地球自体が宝珠のようなシステムの中で育まれている様にも読み込めます。
また、釜の内側は上昇と下降の水の対流する世界があります。

少し話が飛びますが、
蒸留酒や真水を造る行程も天地の世界観が酒造機械の中で起こっていることに気がつきます。
空を見て天に描かれた設計図とシステムのその作用を地に起こし形にしたのが蒸留機械なのかもしれません。

「榎の枝を馴れ居て」
榎は大きな樹となり枝を大きく繁らせ、
その木陰で汝(なれ)・慣れ、と共に馴れ親しみながら共に生活を続ける、という意味でした。
夏には木陰に人が集い、旅の人もそこで休む。
恵みを与えるところから互恵の精神を表している事だと思います。

この手習いの詞は歌ではなく自然と人の日常の生活に連らなる森羅万象の理で構成されており、人間をとりまく調和した世界が表されていました。

科学が未発達で不便な時代でも真理を理解すれば豊さを感じる事の出来たと思える詩でした。

━考察⑨━天円地方━━━・・・・・・・・・
東洋では、古くから大地のシンボルは四角形であり、なかでも中国には「天円地方」というわかりやすい宇宙観がありました。
天は円、地は四角形、
いわゆる円形の天のもとに方形の大地が拡がるというものです。

地を四角と見るこの発想が漢字を方形のなかに閉じ込め、漢字の連なりによる碁盤目状の見えない方陣を構築しております。
一方、天体図の天空は、どこでも円で表現されていました。
天を見上げれば円形の太陽や月があり、
夜空は暗く無限に奥行きが広がり、
星座は円形のなかに収まっているように見えるので、
やはり天の形は円形として考えられたのでしょう。
天に境界線を引くことは不可能ですが、
大地には境界線を引くことができます。
住居や集落の境界線や、土俵や敷居。
国境なんかも線引きできます。
その境界線は、最初は円形だったかもしれないが、徐々に四角形も現れてくる。
円と四角の必然性は洋の東西に関わらずどこの地域においても共通しています。

そういう意味で言えばマンダラの円と「方」
太陽、月、星座は日々動き、形を変える。
一方、大地は動かずに、変転する空を垂直に見上げています。
ここに円と四角の性格を規定する大きな認識が成立します円筒形の誕生です。
つまり、「円は動き、四角は動かない」という“動円静方”ですね。
“安定と不安定“の両方が内在された世界です。

そして天円地方は仏教のマンダラの表現に昇華し
天を表す円のなかにのある“金剛界曼陀羅”
大地を表す方形のなかに「円」のある“胎蔵界曼陀羅”などがありこの世の実相を表しているのだと言う事でした。
御縁の繋ぎの円筒形が沢山集約してあるなと思います。
昔、本で読んだ程度の認識なのですがとても印象的な記憶がありましたがここに来て一つにつながるインスピを感じます。

天に存在する設計図を読み解き地に下ろして組み立てる。
常世の世界を映し出した光景は未知ではありますが円筒形の中の揺らぎの先、
宝珠の世界に存在しているのかも知れないと思いました。

━考察⑩━エネルギーと結果━・・・・・・・・・・
位置エネルギーの高さはたかが知れている…?
高さだけでは作用が起こらない?
と一瞬不思議に思いました。
前回は下降する位置エネルギーに対しての御教導でした。
今回は北斗之活で相伝された“トルネード”上昇スパイラルの作用が加味され
上昇と下降が相まって作用が起こる事がやっと理解できました。

頭と腰は低く作法は高く。
その時だけでも一瞬我を滅しないと妙見丁之活で相伝された地から浮き上がる北斗の力の作用が阻害されてしまう、
だから地からの力、上昇スパイラルが大切であるのだという事が解りました。
“舞いは仕舞”がここに来て繋がりを見せてくださりました。

自分を地に滅し太一の見えない未知の地の中から踏み込めば、その反射による力で相手を引き立たせる。
だからこそ自分の体の中に力みや挑み反発があってはならない事が見えてきます。
その場に天地の作用である御縁舞わしの運動エネルギーが起こり結果に繋がる作用をお借りできるのでしょう。

なんか柏オフィスにある浮遊する磁石そのものですね。

天地の世界は“小さいけど沢山の世界”
地球も空間中に浮いている存在で一定の均衡を保ったままその状態が保存され留まり続けているように思えますが、
常に何かからのエネルギーの作用を受け宝珠の状態を保ち続けているのでしょう。
そんな小さな星々が沢山ある宇宙の法則性を学ばせていただき無重力の治療の一端を垣間見れたように思いました。

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☆───────────────
最後に静岡研鑽会恒例の一句を読ませていただきます。
天地ノ 無限ノ量目 求メルハ
自我ヲ滅私 真澄ノ見透シ
━━━━━━━━━━━━━━━━☆
千葉吉胤妙星司家
この度も深遠な妙見活法の世界をお導きしていただき誠に有り難う御座いました。
作法をお借りする瞬間だけでも我を消してお役立ち出来るよう勤めたいと思います。

前野功妙経会長
この度も配信事務など誠にありがとう御座いました。

以上で課題レポートとさせていただきます。

有り難う御座いました。

この記事の著者

正伝妙見活法協会
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一千年の歴史を有する正統なる古伝活法『正伝妙見活法』を第24代継承者である千葉吉胤妙星師が直接教伝いたします。
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