第38回妙見学理講座 天帝豊受之活 理論編 優秀レポート 杉渕秀登修玄先生 – 正伝妙見活法協会

2019.8.31

第38回妙見学理講座 天帝豊受之活 理論編 優秀レポート 杉渕秀登修玄先生

神奈川県の杉渕秀登修玄です。

学理講座の「天帝豊受之活」の考察レポートです。

【受け取る力】

学理講座の中で「授受の機」について解説が有りました。

豊受と言うのは本来、五穀豊穣を祈念し、その実りを豊かに頂くと言う意味です。

その性質上、「旬」「新鮮」との親和性がとても重要になると思います。

この二つの言語に共通しているのは、

スピードとタイミングではないかと考えました。

あと、「期限」がその成立要素として重要です。

いくら作物がたわわに実っても、それを取りに(収穫に)行かなければ食べる事が出来ません。

又、早く収穫に行くほど美味しいものを得る事が出来ます。

同じく、いくら素晴らしい教えが有っても、それを受け取りに行かなければ自分のものに出来ませんし、

機を逸してしまうと、それを得る事が出来なくなります。(卍満天之法術がその一例です)

そう考えると、「機」は正しく「起」で有るとも言うことが出来ます。

自らが「起因」となって、積極的・能動的に動かなければ何も得ることが出来ないと感じました。

【ヘルプの失敗】

一部の心理療法家の間で言われているものに「ヘルプの失敗」と言う現象があります。

自分が何か相手に対して、してあげた行為(授け)に対し、相手が受け取らない場合、

してあげてる方の心理的テンションが著しく下がるというものです。

例えて言うと、電車の中でお年寄りに席を譲った時に「年寄り扱いするな!」等、叱咤されて凹む状態の事です。

相手に対し、こちらの行為が受け取って貰えず、授受の回転性が途切れて不安定な形になってしまうのです。

このヘルプの失敗は様々な所で垣間見る事が出来ます。

例えば妻や子供に良かれと思って、プレゼントを買って行ったら、もっと違うものが欲しかったと言われたり、

お客様に良かれと思ってしたサービスが不評を買ったり等、割と多く自分達の周りでも起きています。

治療家で有れば、治療に来たお客様に対して満足の行く結果を出せない時もこのヘルプの失敗に入るかも知れません。

この「ヘルプの失敗」が身体の中で起きた時に「腰痛」や「肩こり」「膝痛」等の不具合が生じます。

以前に司家が、

「身体の一箇所に過度に負担が生じ、他の部位と連携して動けなくなった時に不具合が生じる」

と仰っていました。

特定の仕事等による偏った動作を繰り返す事で、ある一部分だけに過度に負担が掛かり、他の部位がその助けが出来なくなった状態(ヘルプの失敗)が不具合です。

学理講座の中で「連なりの狂い」と有りましたが、身体の中でこの「授受」が上手くいかなくなる事で「連なり」が途切れ、お互いの助け「相互扶助」が出来なくなります。

「相互扶助」を成り立たせる最も大事な要素がこの「授受」の回転性に有るのではないでしょうか。

「豊受」とは自然や天から豊かに様々な恵みを受ける事を言いますが、

豊かに受け取ったら、次はそれを又自然や天、他の存在にお返しする行為・行動が必要です。

いわゆる、「豊受」の連鎖・連なりの「授受還元」ですね。

先程の例で言うと、席を譲られたお年寄りがニッコリ笑って

「どうもありがとう。お陰様でとても楽です。」と一言添えるだけで、「授受」の回転性が起き、とても和やかな雰囲気になります。

これは私見ですが、人の親切に感謝してそれを受け取るのも、又親切な行為だと思います。

中にはノーサンキューの事もあると思うので、一概には言えませんが、

この事を知ってからは他者からの親切は強く拒絶せず、満面の笑み(笑)で受け取る様にしました。

【授けとは】

「天帝豊受之活」のテーマの一つである「授け」…。

この「授け」について考察して行きたいと思います。

「授け」とは何かを辞書で調べると

「神仏や目上の人からお金では買えないものを頂く」

とあります。

そう言えば、日常よく使うものや食材等は貰うと言い、「授かる」とは言わないですね。

「授け」を受けた方は、それでどの様な状態になるかと言うと、

当然、受ける前と受けた後では今までの自分と「違い」が有るし、

又、無ければ「授け」を受けた事にはなりません。

そう考えると、「授け」とは「差付け」ではないかと考えました。

「授け」を受ける前と後の自分では、明らかに差異が有ると言う事です。

先程の背痛を例に挙げると、背中の部位と他の部位の連なりに差異が生じ、不具合が出来ると有りました。

妙見活法では背中以外の他の部位(動きの無い他の部位)に「差」を付け足す、

いわゆる「差付け」を行い、身体の各部分の差異を減じて行く事で、差を取り除き不具合を滅します。

これは差を無くす「差取り」をする事で、身体の連なりの改善をはかる現象です。

【差とは】

「陰と陽」「虚と実」「正と反」「天と地」等、

妙見法術活法において、よく出るワードの単語です。

これらに共通するキーワードは「差」の一語になります。

この「差」が開けば開くほど、様々な問題やトラブルが発生します。

身体にこの格差が起きると、健康上の不具合になりますし、

職場や家族間の人間関係等もお互いの認識に差があるほど、上手く行かなくなります。

丁度今、日本は隣国と様々な局面でトラブルになっていますが、事柄の是非はさておき、お互いの国民の認識に「差」が有るから揉めているのです。

総じて現代は「格差社会」に入り、貧富の差も大きくなりつつあります。

自分が子供の頃は「一億総中流社会」と言われ、今現在ほど世の中がギスギスした感じでは無く、もっと全体の雰囲気がおおらかでした。

考えて見ると頭山満翁も一部では右翼の大物と言われ、自分もその認識でいましたが、

そうではなく、世の中が左に行けば右へ、右へ行けば左へと言う様に常にバランスを取り、

この格差を減じて行く行為、行動をされていたんだなと今では理解出来ます。

妙見法術活法は、この様々な現象や問題を「差」を捉える事で、

それを用い、更に減じて行く世界で唯一無二のシステムを構築している「法術」であると考えます。

【差用】

治療家が患者の不具合を治す時に「作用」を及ぼし変化を与える事が出来れば、その不具合は消滅します。

ですが、何の「作用」も与える事が出来ず、変化を起こす事が出来無ければ、

治せない治療家になってしまいます。

この「作用」を流れにすると、

①差用・・・「差」を察知して用いる

②小用・・・「差」を小さく減じて行く

③作用・・・①と②をシステム化したものを相手や対象に働き掛け、

「差用」→「小用」→「作用」=「質的変換」

と言う形になるのではと考えます。

【豊受と悟り】

有名な釈迦の四門ですが、

釈迦が東の門を出た時に老人を見て「老い」の苦しみを感じ、

南の門を出た時に病人を見て「病」の苦しみを感じ、

西の門を出た時に葬儀を見て「死」の苦しみを感じ、

この三つの苦しみから逃れられない「生きる苦しみ」から逃れる為に、

北の門を出た時にそのまま出家したと有ります。

釈迦はこの「生老病死苦」から脱却する事を目的に、「悟り」を求めて仏陀を目指したと言われています。

考えて見ると、この「生老病死苦」もその相対的な対象となる

「生」⇔「死」

「老」⇔「若」

「病」⇔「健康」

と言う相対的な存在との差異が大きくなるほど「苦」が増大します。

この「苦」と言う「差」を減じて行く事(差取り)が「悟り」の過程ではないかと思います。

この「悟り」もその字を考察すると、

「吾」を「小さく」と書きます。

相伝の時に司家より「豊受大神」の解説をして頂きました。

「豊受大神」は伊勢神宮の「天照大神」の傍におられて、自分は決して表には出ず、

ひっそりと「天照大神」と参拝に来られた人々を見守り、その加護に務めておられる神様との事でした。

「豊受大神」も仏教で言う「悟り」も、どちらも自分と言う存在を「減じて行く」方向性を持っているのではないでしょうか。

以前、「空」と「無」の定義等、司家や会員の皆様より教えを頂きました。

それらを考慮すると、自分を無くすのでは無く、減じて行く行程が、「悟り」を得ると言う事だと考えます。

妙見法術活法では、この「悟り」を得るのに滝に打たれたり、禅を組んだりと言う事が必ずしも必要では無く、

日常の中でその「極意」を得て「悟り」の段階へと至る事が可能と有りました。

「豊受」を内包する妙見法術の「授受還元」のシステムを実践する事で、

自己を減少して「空」に近づき、ゼロ化に導く妙見法術活法に出逢えた事に感謝しております。

今後とも「受け取る力」を磨いて周囲や世の中のお役に立ちたいと思っています。

この様な機会を与えて下さりました、

千葉司家
前野会長
由利はるな初日司家秘書

全国の会員の皆様に厚くお礼申し上げます。

最後迄、お読み下さりありがとうございました。

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